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2008.04.29

目黒区に行きました

よく晴れた昭和の日。陽の光が暖かい。

P4290202まず目黒区美術館 の「コレクション展 作品と作品の間に…4つの変奏」を観る。変奏をキーに、物語・細部・美術史・快楽の4つの章で作品を追ってゆく。作品の解説がやや玄人向けっぽいなぁ、と感じる所もあった(特段、難解な読み解きが必要な感じではなかったけど)。若林奮、古茂田守介、柄澤齊、藤田嗣治、宇佐見圭司、川俣正、谷文晁、里見勝蔵、大多喜二郎、国吉康雄、猪熊弦一郎、秋山祐徳太子、堂本尚郎、木下晋、池田満寿夫、草間彌生、白髪一雄…。骨のあるコレクションをどうやって展観するか。キュレータ−の姿勢がよく分かった。目黒区美術館(のキュレーター)の一つの見方を提示し、あとは鑑賞者に委ねる。ゆるやかに作品と観る者の対話がはじまる。静かな刺激が楽しめる展覧会だった。

P4290208P4290236P4290243P4290284つぎに、目黒区総合庁舎建築ガイドツアーに参加した。現地でSくん、Mさんと合流。ボランティアガイドの方の話を聞きながら、建物の内部と外部を100分ほどかけてまわった。1966年に村野藤吾の設計によって建てられた千代田生命本社ビル。2003年より目黒区の区庁舎として利用されている。村野藤吾のスピリッツを感じながら、建物を見てゆく。よくよく見ないと気付かないことにも目を向けることができて、とても面白かった。この旧千代田生命本社ビルは、建物・広場・池・木々、全てが一つの作品である。建物内の壁、床、広場の石、屋上のタイル、池、和室の屋根…。細部にわたる全てが一体となることで、はじめて美のランドスケープが形成される。やわらかで、ゆるやかな繋がり。滑らかに接する壁と床、やわらかな光が差し込む和室、天井から陽が降る玄関ホール……。粘土で建築模型をつくったとされる村野の感覚があちこちに散らばる。

P4290289P4290302P4290247P4290306その一方で、玄関ホールの水面に置かれた結界のポール、節電のために止められた電気、安全対策のために巻かれた螺旋階段のプチプチ、節水のために止まっている噴水と瀧、安全対策のために張られた広場の柵、防犯対策のために設けられた和室の扉、本館の屋上に設けられた微妙な庭園、広場の赤いコーン……。区役所の機能に似つかわしくするためのそれらは、果たして本当に必要な措置なのだろうか。細部にまで気を配った村野の意図を崩すかのような安易な改修が目についた。そして悲しくなった。この国の文化レヴェルの低調さを改めて実感。

P4290338つぎに東京都写真美術館へ徒歩で移動。まずは「シュルレアリスムと写真—痙攣する美」へ。シュルレアリスムと写真を考察する場、と設定された今回の展覧会。1924年に刊行されたアンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言』によって世界各地へと広がる。“その話、シュールだね”とか“シュールな奴”とか、美術用語としてではなく、ごく当たり前に日常会話の語彙に含まれるシュルレアリスム。けれど、シュルレアリスムといふ語をどう扱って、どう括るかは、いまだ定まっていない。

本日最後の鑑賞は、「知られざる鬼才 マリオ・ジャコメッリ展」。イタリア人写真家、MARIO GIACOMELLI(1925-2000)の個展。時に可笑しく、時に悲しく、時に切ない。そんな短編映画を幾つか観た気分になる展観だった。ナレーションのように語るシリーズコメントを読み、写真へと導かれる。とくに印象に残ったのが神学校の場面を写した《私には自分の顔を愛撫する手がない》1961-63。とても切ない気持ちになった。無邪気に踊る彼らが背負っているものの重さ。黒と白・生と死のコントラストが感性を揺さぶってくる。


P4290344P4290339P4290341夕食は、【こづち食堂】に行った。ザ・昭和食堂といふコトバに似つかわしいお店。安くて旨し。

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